お知らせ
| |アンサンブルクライス 第25回定期演奏会 |
| 2026年7月5日(日) 14:00より、トッパンホールにて、アンサンブルクライス 第26回定期演奏会が開かれました。 ここ最近は異常気象で猛暑日の演奏会が続いたのですが、この日はちょうど薄曇りの過ごしやすい気候で出足も上々、たくさんの方に聞いていただきました。ありがとうございました。 今回は、第一部にパレストリーナのモテット、第二部として日本の歌、第三部にラインベルガーのモテットを取り上げました。副題の「未来と希望を」は、主に第二部で歌われる日本語の歌詞から着想されたものです。 ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナは、生年ははっきりしませんが1594年2月に亡くなった際に「齢68歳」であったという記録があり、逆算すると生まれたのは1525年2月から1526年2月、ちょうど生誕500年が過ぎたばかりということになります。姓名はジョヴァンニ・ピエルルイジですが「パレストリーナの」という枕詞がつき、今では一般にパレストリーナで通っています。パレストリーナとはローマに近い教皇領の小さな町の名前で、古代ローマ時代には貴族の避暑地だったそうですが、軍団の駐屯地も後世の大聖堂もある由緒ある町で、ジョヴァンニ・ピエルルイジはおそらくそこで生まれたのだろうとのこと。 ジョヴァンニは幼少期にローマに移って教皇座のある聖マリア・マッジョーレ大聖堂の聖歌隊員となり、音楽や文学の教育を受けました。その後1544年に一旦生地パレストリーナの聖アガピトゥス大聖堂のオルガニストとなりますが、パレストリーナ司教であったジョヴァンニ・デル・モンテが1550年に教皇ユリウス3世として即位すると新教皇の引き立てで教皇庁のカペラ・ジュリア聖歌隊の一員となり、ついでその楽長、さらには格上のシスティーナ礼拝堂の聖歌隊員にまでなりました。その後は対抗宗教改革に熱心で厳格な教皇パウルス4世から既婚者であるという理由で一時追放されるなどいくらかの紆余曲折はあったものの、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ教会や上記聖マリア・マッジョーレ大聖堂の楽長を歴任して生涯ローマで過ごし、最終的にはカペラ・ジュリアの楽長に再任されて、100曲以上のミサや300曲以上のモテット、140曲以上のマドリガルなどを残しました。穏やかに流れて美しく調和していながら実際には厳格な模倣が成立している作品はルネサンス音楽の完成形であるとされ、後世の作曲家・音楽理論家からも高く評価されて、当時には珍しく没後も忘れられなかった作曲家でした。ウィーンのJ.J.フックスが1725年に出版した対位法の教本「パルナッソス山への階梯」でもその作風はパレストリーナ様式と呼ばれて絶賛され、同書を所蔵していたバッハもパレストリーナのミサ曲を筆写・研究して一部を演奏し、研鑽の成果は晩年の大作「ミサ曲ロ短調」にも反映されています。 今回歌ったのは4曲のモテットで、超有名な「バビロンの川のほとりに」「谷川慕いて鹿のあえぐごとく」と、そこまでの知名度はない「われらは苦しめらるる時、主に対し」「汝の足は何と美しきことか」です。最初の3曲は1581年にヴェネツィアで出版された「4声のモテット集第2巻」に収められ、いずれも旧約聖書の詩篇から歌詞が取られています。当時のパレストリーナは仕事の上ではカペラ・ジュリアの楽長に返り咲いて順調ではあったものの、1570年代には二人の息子や弟を、1580年には30年以上連れ添った愛妻を相次いでペストで亡くして不幸な境遇にありました。歌詞や曲調も、穏やかではありますが内に悲しみを含んだものが多いです。最後の一曲は同名でもう一曲5声のものがあるのですが、上記曲集より前の1563年に出版された「4声のモテット集第1巻」にある4声のほうです。こちらは聖マリア・マッジョーレ大聖堂の楽長時代の作で同じく旧約聖書の雅歌から取られた明るい曲調のものです。どちらの曲集も高度な対位法を駆使し通模倣様式で書かれていながら流れるような節回しが美しく、パレストリーナの代表作といってよいでしょう。 第二部は雰囲気を変えてアンジェラ・アキの「手紙」で始まります。十五歳の自分が未来の自分に宛てて手紙を書き、それに大人になった未来の自分が返事する、その中で十五歳の自分を未来の自分が励ますという構成になっています。思春期の悩みは本人にとっては重大事で、希望を捨てず自分を信じて進めば道は開けるという内容。もともとNHKの学校音楽コンクール中学生の部の課題曲として書かれたもので、ちょうどその頃過去に書いた自分からの手紙が親から送られてきたというご本人の体験も元になっているとのこと。 「大切なもの」は、ゆったりと流れるような平易なメロディで大切なものを教えてくれた「君」への感謝が綴られていく穏やかな曲です。その大切なものとは何なのかは実は明示されていないのですが、歌詞からは「君」(友人?詩からは恋人という感じではないです)そのものであろうと想像できますが、本人ではなく「君」が教えてくれた他の何かかもしれません。ここはあえて明言しないことで、歌い手それぞれが自分の大切なものを思い浮かべて演奏できるようになっているのかもしれません。 第二部締めくくりの「群青」は、東日本大震災の時に福島県南相馬市立小高(おだか)中学校の一年生だった生徒達が卒業までに綴った文章や詩を先生が監修して曲をつけたもの。小高地区は全域が福島第一原発から20km以内の避難指示区域に含まれてしまい一時は誰もいなくなって、別の場所を間借りして学校が再開したときには160人いた学年はわずか7人にまで減っていて、あとは全国に散り散りになってしまったということです。現在は避難指示は解除され帰宅も進んではいるものの人口はまだ昔の半分程度、かつての賑わいを取り戻すのはまだまだ先になりそうです。それでもいつかまたこの街で会おうという希望の約束を歌うこの曲は、2013年の発表当時から大きな話題になりました。群青とは深い青、すぐそばを流れる黒潮とその上の空の色で、校歌にも歌われ生徒達が自分の学校の色として使っている言葉です。 私は大学が仙台だったこともあり、クラブの合宿に何回か相馬市の青年の家(主に青少年向けの宿泊研修施設)を使ったことがあります。相馬市は南相馬市の北隣にあって風情もよく似た静かな町で、海岸近くにあった当時の青年の家は後に「海浜自然の家」と名前が変わりましたが津波で壊滅し、残念ながら今は使われていないようで検索にも引っかかってきません。昭和のことで、本来飲酒不可(というかそもそも未成年なので法的にNG)だった青年の家で飲んだくれて夜の海岸を集団で徘徊するという今なら許されないであろう危険なこともやっていました。この曲を歌うときは遠い昔の青春の想い出や震災直後にボランティアで入った津波被災地のことやその後回った震災遺構など様々な思いがあふれてきます。本番も平静を保てるだろうかと心配したのですが、回りが先に感極まっていたようなので自分は逆に冷静に歌うことができました。 この3曲は中学校の卒業式に歌われたり合唱祭で取り上げられたりすることが多いとのこと。どれもいろいろ考えさせられる曲です。 第三部では、これまでもクライスがよく歌ってきたラインベルガーの作品を集めました。ヨーゼフ・ガブリエル・ラインベルガー(1839~1901)は、スイスとオーストリアに挟まれた小さな国リヒテンシュタインに生まれ、幼いころから音楽教育を受けて7歳にはすでに故郷のファドゥーツ聖フローリン教会のオルガン奏者になります。1851年には12歳でミュンヘンの王立音楽院(現在のミュンヘン音楽・舞台芸術大学)に入学してさらに研鑽を積んで、1859年には同音楽院のピアノ教師に採用されます。王立音楽院は費用の関係でいったん閉所されるものの、1867年にハンス・フォン・ビューローを校長に迎えてバイエルン王立音楽学校として再開された折にはオルガンと作曲の教授として改めて任命され、亡くなるまでその地位にありました。1877年にはルートヴィヒ2世(狂王)が治めるバイエルン宮廷の楽長にも任命され、勲章や名誉博士号や貴族の称号なども授与され、生前は高い評価を得て一般大衆からの人気も絶大だったのですが、作風は少し保守的・端正で古典派や前期ロマン派を思わせるものも多く、没後は後期ロマン派から国民楽派、あるいは無調の現代音楽へと突き進む流れに取り残されて忘れられてしまいました。 私たちクライスは1993年の結成演奏会でラインベルガーの「歌ミサ」op.109のキリエとグローリアを演奏し、今回の五つの讃歌op.140からの抜粋も1996年に演奏しています。1990年代の日本ではラインベルガーはまだそれほど一般的でなかったと思うのですが、ドイツの合唱指揮者ヴァルター・ヨハネス・ベックさんの慧眼でわりと早くから取り組んできて、さきに触れた曲だけでなくスターバト・マーテルやモテットなどもステージに乗せてきました。第三部の最初に取り上げる「わたしは感謝するでしょう(Confitebor tibi Domine)」は、同じ名前でアカペラ5声の曲が五つのモテットop.163の第4曲にありますがそちらではなく作品番号なしの曲集からの4声版で、ホモフォニックに進行する穏やかな曲。歌詞は詩篇の第86篇からです。続くアヴェ・マリアは歌詞はおなじみのルカ伝からで、待降節のための九つのモテットop.176の最後の曲です。こちらもあまり複雑な絡み合いがなく静かな祈りの曲で、前年の妻の死が影を落としているのかもしれません。 メインとなる五つの讃歌は1878年から1883年にかけて書かれ1885年に出版されたもので、第4曲がマリアのアンティフォナの歌詞を使っている以外は皆詩篇からとられています。第一部のパレストリーナとあわせ、今回の裏のテーマは実は詩篇特集だったのかもと思います。 これまでもそうだったのですが、今回は日本語の曲も含めて特に言葉(歌詞)に結びついた表現をみっちりと指導されました。パレストリーナでは通模倣様式とはどういうことかを感覚で教え込まれました。最初に入るパートを集中的に練習し、細かなニュアンスや微調整まで一通りさらって何となくそれっぽくなったところで、次に入るパートは「今と同じように歌ってみてください」とターゲットが移ります。メロディや歌詞だけでなく、細かな強弱や微妙な延び縮みや言葉のニュアンス、アーティキュレーションから気持ちの入れ方まで全てまるっと模倣していくということを何度も練習しました。最初のパートがどう入っても後のパートは全てそれを真似してくるので最初の責任は重大です。ルネサンス物の曲作りは最初に入るパートが特に重要なのが感覚でわかりました。後から入るパートも、全神経を集中して先行パートを聞くようになります。結果、他の場所でも回りに合わせたバランスやニュアンスが意識できるようになり、表現の幅も拡がったように思います。練習会場ではやや聞こえにくかった他のパートも、ステージでは結構クリアに聞こえてきてホールにも助けられました。相手がよく聞こえると、パート間のやりとりもずっと面白くなるし、最後の和音のハモリ感なども全然違って取りやすくなります。 日本語の曲は、最初から歌詞がわかるだけについ甘く見ておざなりな練習になりがちですが、外国語の歌詞と同じように逐語で考えていき、これまで以上に日本語の表現というものを考えるようになりました。それぞれが情景や気持ちを思い浮かべて、聞く人にダイレクトに伝わるように練習しました。 ラインベルガーは、ロマン派ということでパレストリーナに比べて強弱の幅が大きく、スフォルツァンドやアクセントやクレッシェンド・デクレッシェンド、スビト・ピアノやメノ・モッソなどの表情記号も最初から楽譜にぎっしり書いてあって、とりあえずその通り歌うだけでも大変です。同じアクセント記号でも歌詞や和声によって同じ表現は存在せず、こちらも先生の指示を元にそれぞれがじっくりと考えて表現していきました。同じ音符にテヌートとスタッカートと両方書いてあって「どう歌えば良いのか???」というところもあり、結構頭を悩ませたのですが、それでも皆が揃って何度もさらっていくとだいたい収斂していくようで、最後にはいい感じになっていきます。本番では強弱や発音だけでなくて非常にダイナミックな音楽が表現できたのではないかと思います。聞いていただいた方からも同様な感想を頂いて、ひとまずほっとしているところです。 日時:2026年7月5日(日) 13時30分開場 14時開演 会場: トッパンホール 曲目: G.P.d パレストリーナ 詩篇第137篇 「バビロンの川のほとりに」 詩篇第42篇 「谷川慕いて鹿のあえぐごとく」 詩篇第120篇 「われらは苦しめらるる時、主に対し」 雅歌第7章 「汝の足は何と美しきことか」 アンジェラ・アキ 「手紙 ~拝啓 十五の君に~」 山崎朋子 「大切なもの」 福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生/小田美樹/信長貴富 「群青」 J.G.ラインベルガー 詩篇第137篇 「わたしは感謝するでしょう」WoO 7 Nr.5 「アヴェ・マリア」op.176.Nr.9 五つの讃歌op.140 詩篇第117篇 「苦悩」、 詩篇第118篇 「主の右の手は」、 詩篇第143篇 「主よ、救いたまえ」、 聖母マリアのアンティフォナ 「愛でたし天の女王」、 詩篇第91篇 「神は御使いたちに命ぜられた」 指揮: 鈴木 美登里/吉田 真康 ピアノ: 伊藤 明子 演奏:アンサンブルクライス |

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